セレナード第13番ト長調《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》1

永遠の名曲というものにポピュラリティが加わったらどうなるか、という問いがあったとして、それに対する答えが"アイネ・クライネ・ナハトムジーク"ということになるのではあるまいか、と思われるほど、モーツァルトのすべての音楽の中で人気のトップを行くのがこの曲であり、レコード、CDの数の多さもまたトップである。

これは、世にこれほど完壁な仕上がりというものはあるまいと、多くの音楽家を歎じせしめた作品である。
だが、本来存在していたはずのメヌエットニつのうち、一つが行方不明になり、今日に至るまで見つかっていないのは残念である。

しかし、現在の四楽章の形でも、みごとにバランスがとれている。
造化の妙というのか、天才の所産というのか。

セレナード第12番ハ短調《ナハトムジーク》3

こうした管楽器のアンサンブルは、弦楽器以上に演奏者一人一人のもっている音色や技巧が演奏の特色を左右する点でおもしろい。
いまここに二つのすばらしい演奏の録音がある。

一つはシェレンベルガーやライスターを中心とするベルリン・フィルハーモニー管楽アンサンブル。
もう一つはホリガー、ブルンナー、トゥーネマンを中心とするウィーンとスイスの演奏家のものである。

前者はシェレンベルガーの美しいオーボエの音色を中心に八人の音色が完全に融け合った見事なアンサンブルで、とくに第一楽章はやや遅めのテンポでじっくりと表現していく。

これに対して後者はもちろんアンサンブルは整っているのだが、しかしその中から各人の個性とか独奏的な性格が出てきて、その点のおもしろさがある。
だから第一楽章はどうしてもテンポが速くなり、逆に第二楽章は一人一人じっくり歌っていくからやや遅くなる傾向にある。

セレナード第12番ハ短調《ナハトムジーク》2

この曲の作曲年代や作曲された事情については、明確なことはまだわかっていない。
モーツァルトの手紙などから、1782年の7月にアロイス・ヨーゼフ・リヒテンシュタイン侯爵の催すハルモニー・ムジークのために作曲したという説が現在のところ有力だが、一方1783年の暮の作曲ともいわれる。

第一楽章がソナタ形式のアレグロ、第二楽章は単純なソナタ形式による変ホ長調のアンダンテ、第三楽章がメヌエット、第四楽章は変奏の形式をもったアレグロという構成で、前述したように交響曲や弦楽四重奏曲などのスタイルである。

そのためにこの曲はのちにモーツァルト自身により弦楽五重奏曲にも編曲されている。

セレナード第12番ハ短調《ナハトムジーク》1

管楽八重奏のために書かれているこの曲は、モーツァルトのセレナードの中でももっともセレナードらしくない作品として知られている。

セレナードは元来娯楽音楽の一種で、しかも当時ハルモニー・ムジークといってこうした管楽合奏のスタイルが好まれていたにもかかわらず、どうしてセレナードらしくない作品を作ったのか、その理由は明らかではない。

実際この曲を聴くと、その真面目で厳粛な内容に驚かされるし、近代ならばまさしく演奏会用の作品というべき傑作である。

それは一つにはこうした娯楽音楽としては珍しいハ短調で書かれていることや、楽章構成が交響曲や弦楽四重奏曲と同じ形の四楽章であることにもよる。
実際モーツァルトのすべてのセレナードやディヴェルティメントの中で、短調の調性をとっているのはこの曲だけである。

セレナード第11番変ホ長調 3

楽章構成は、シンメトリックな五楽章によっており、中央にアダージョ楽章を置き、両端にアレグロ、第二、第四楽章にメヌエットを配した形をとっている。

この作品の演奏では、八重奏の形をとられるのが普通であり、とくにレコーディングにおいては、同じ楽器編成によるハ短調のセレナードと組み合わされることが多い。
そこでは各楽器の和声的、旋律的な扱いがじつに巧妙であり、生みだされる響きも美しく充実したものとなっている。

楽章構成は、すでに述べたようにシンメトリックに配置されているが、性格的には両端楽章はもちろんのこと、ふたつのメヌエットにも対照的なものが見られる。
演奏については、優劣よりも、むしろアンサンブルの性格への好みが先行するように思われる。

セレナード第11番変ホ長調 2

作曲は、ウィーンの宮廷に仕えていたH・フォン・ヒックルの妹のためになされているが、すぐれたハルモニームジークとして楽師たちからも好まれたようであり、残された父レオポルト宛ての手紙には、作曲してから間もないある夜、彼らが、モーツァルトの住んでいた家の中庭で演奏して驚かせたということが報じられている。

もっとも、その時はクラリネット、ファゴット、ホルン各二本という六重奏の形であったことになる。
現在、一般的に演奏されているモーツァルト自身がさらに二本のオーボエを加えて八重奏とした版は、1982年7月になって作られているからである。

そのほかにも、さらに二本のイングリッシュ・ホルンを加えて編成を拡大した楽譜が残されているようであるが、これらのことは、この作品が、かなりの人気をもっていたことを裏づけているようにも思われるし、モーツァルトにとっても自信作であったことを思わせている。

それは、彼の最後の年から見れぼ10年前ということになるが、25歳のモーツァルトの若々しさと、すでに成熟していた書法とが、単なる娯楽音楽としての領域を越えて、この作品の内容を豊かにし得た結果と見てよいであろう。

セレナード第11番変ホ長調 1

モーツァルトの機会音楽、社交音楽のジャンル、すなわちセレナード、ディヴェルティメント、多様な舞曲などの創作時期については、5つに分けて考えられることが多い。

この変ホ長調のセレナードは、そうした中で第四期のなかばに生みだされたものであり、1781年10月にウィーンで作曲されている。

この時期のモーツァルトが、管楽器のアンサンブルにかなり強い志向を示していたことは、この作品と前後して書かれたハ短調のセレナードや、いわゆる《グラン・パルティータ》などの存在によっても知ることができよう。

セレナード第10番変ロ長調《グラン・パルティータ》3

近年の学者の研究では、この曲は従来説のようにミュンヘンで1780年に作られたものではなく、1782年8月4日、モーツァルトの結婚式のあと、ワルトシュテーテン男爵夫人の邸で行なわれた祝宴の際に
使うために作られたという説が有力になってきた。私にもそのほうがはるかに妥当だという気がする。

なぜなら、もし結婚できたら神に感謝のミサを捧げようと決意して、あの偉大なハ短調のミサを書き始めたり、結婚式が終わった瞬間に感動したモーツァルトが泣き出したというほどに、モーツァルトはこの結婚に賭けていたからである。
その思い入れがあって初めて、このような熱い心のほとばしる音楽が成立するだろうと思われるのである。

演奏にはかなりの名演がそろっているが、一応ベルリン・フィル管楽アンサンブルをトップに挙げておこう。
フルトヴェングラーやクレンペラーといった巨匠が自ら指揮したものもあるし、古楽器グループも数多く録音しているが。

セレナード第10番変ロ長調《グラン・パルティータ》2

弦バスと十二管で演奏するチームはあまり利口な考えとはいえない。
なぜなら、おそらく初演のときに、コントラファゴットの奏者が見つからなかったために弦バスとしただけで、作曲者はもともと管楽器だけにしたかったことは明白だ。
のちにモーツァルトの親友で、切っても切れない縁の悪友のクラリネット奏者のアントン・シュタードラーがこの曲を公開の席で演奏したとき(もちろんモーツァルト立ち会いのもとに)これは正しく十三管の形で演奏されているのである。

戯曲(ならびに映画)『アマデウス』一世を風靡したが、その中で作者シェファーは、モーツァルトの才能にサリエリが打ちのめされる劇的なシーンの音楽に、この十三管のセレナードの第三楽章アダージョを使用した。

これはまことに効果的で、この楽章の神秘性は、所詮天才だけに発想できるものであるだけに、一発でサリエリが倒されるに十分なパンチとなっていたし、あのシーンでこの音楽が鳴ったときには、こちらの背筋も寒くなったものである。

セレナード第10番変ロ長調《グラン・パルティータ》1

グラン・パルティータと呼ばれ、通称十三管のセレナードと呼ばれるこの曲は、八管のための二曲(K三七五、三八八)と並んで、史上最高の管楽アンサンブルのための曲となっている。

"十三管"とはいうものの、オリジナルの譜面は、最低音域の楽器の段にコントラバスと記入されているので、厳密にいうと、"十二管と一弦"ということになる。

従来ここは慣習に従ってコントラファゴットを使うチームが多かったが、最近はオリジナル楽譜に従えとばかり、弦バスと十二管で演奏するチームがある。